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2003年10月19日更新

-ポール・ピコ本社訪問-

マスターズトークスペシャル
-ポール・ピコ、ハンハルト、ジン本社訪問記-

今回はヌーシャテル、フライブルグ、フランクフルトの地を2003年9月1日より6日間(株)ホッタの企画のもと数社のメーカーとその他文字盤製造会社やヌーシャテルにある国際ウォッチメーカースクール“WOSTEP”などを訪れました。

9月1日は11:35チューリッヒへ向けて成田より出発し、フランクフルトを経由して現地時間の18:25に到着致しました。

そのままバスにて約2時間ヌーシャテルへと移動し初日はそのまま就寝致しました。
時差ぼけで少し速めの朝を迎えホテルの外を散歩すると眼下には綺麗なヌーシャテル湖が目に飛び込んで来ました。
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swiss&german15.JPG初日、2日目と宿泊しました“HOTEL BEAULAC[ホテル・ボーラック]”の前にはヌーシャテル州立歴史美術館があり、そこにはオートマタなどの製作でも有名な“ジャケ・ドロー”氏の作品が展示されているとのことでした。


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しかし、事前にジャケ・ドロー氏にお願いしておけば、その展示されているオートマタを動かしてくれるとの事でしたが、その話を伺ったのが宿泊2日目だった為しかたなく今回は諦めました。(次回は速めにお願いすることにします。)

まず初日の訪問先はヌ・ルアールモンにある“ポール・ピコ”の本社でした。


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牛などが放牧されている長閑な牧草地帯を抜けて行くと静かな集落の一角にポールピコの工場というよりは工房と言った方が適するのでしょうか、真っ白な建物があり、マネージングディレクターであるエリック・オプリガー氏やマーケティングディレクターの方々が出迎えてくれました。


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そして、みなさんと挨拶を済ますと2階のレセプションルームへと案内頂き、ポールピコ社社長の“マリオ・ボイオッキ”氏始め息子さんやエンジニアの方々よりシャンパンで歓迎頂きました。


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そしてポールピコ社の設立から現在に至るまでの社歴を伺ったあと、工房内を案内頂きました。
工房内ではパーツのクォリティをチェックする方やパーツをアッセンブリーされる方など女性の方も数名見受けられました。
一番奥で居られた方はポールピコで一番永い時計師の方で現在でもテクカムなどの複雑系のムーブメントを組み立てておられるとのことでした。


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そして建物の4階分からなる工房のフロアーをそれぞれ見学させて頂きレセプションルームへと戻って来ました。
その途中で気になったモデルのポスターが飾られていたのでマーケティングディレクターの方に訪ねて見ると『あれは嘗てのモデルで今は販売しておりません。』とのことでした。
レマニアCal.1873のムーブメントが搭載されているだけで無く、それぞれのパーツの面取り等の仕上げもとても綺麗に施されていたので、これから無くなるであろうムーブメントを紹介出来ればとの思いで、私もそこで諦めずに『このムーブメント搭載のモデルは他にございませんか?いくつでも構いませんので。』との要望にエンジニアの方が工房内へ探しに戻って下さり、数分後『20個位なら組めるだけのパーツはございますが、修理用のパーツも保持しないと行けませんし、また組めたと致しましてもクオリティチェックで幾つ出荷可能になるかは解りません。』とのことでした。『では以後は(株)ホッタの方と交渉致しますので宜しくお願い致します。』とお願いをし、出来上がりを楽しみに待つ事にしました。
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そして時間的にもちょうどお昼になりましたので、ボイオッキ氏はじめポールピコ社の方々と近くのレストランで昼食を頂き、ほろ酔い気分でポールピコ社の方々と別れ、一路ラ・ショー・ドゥ・フォンの国立時計博物館へ向かいました。


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3度目の見学ですが、その時々で興味のある“旋盤”であったり部品の“作り”であったりと、微妙に異なる為何度観ても飽きないところです。


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ホールクロックやテーブルクロックを始め、今ではめったに見る事のないポケットウォッチやリストウォッチなどもこれだけ一度に真近で観れるところも他には無いので、是非機会がございましたらこのすばらしい時計たちをご覧になられたらと思います。
短い時間でしたが、2時間程館内を見学し、夕方にはヌーシャテルに戻り、市内を散策したり近くのヌーシャテル教会などを観光し、この日夕食はお決まりのキルシュとワインたっぷりのチーズフォンデュを頂きました。
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-文字盤会社とスイス時計学校-

マスターズトークスペシャル
-ポール・ピコ、ハンハルト、ジン本社訪問記-

swiss&german34.JPG翌日は、今回の訪問の中でも楽しみにしておりましたポール・ピコ等の文字盤の製造を請け負っている大手文字盤会社の訪問でした。

【MOM Le Prelet S.A】というジュネーブ郊外にある1895年に設立された会社を15年程前にマリオ“Mario”と言う方とオリビエ“Olivier”と言う方とモニカ“Monica”という3人の共同出資により買収されたそうで、現在は100名程が働いておられるそうです。
今回工場内を案内して下さったのが、社長であるオリビエ・シュワブさん“Olivier Suchwab”でした。


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まず最初にエントランスルームのようなところに招かれ、そこでオリビエ氏より挨拶と歓迎の言葉を頂きました。しかし、目に飛び込んで来たのはテーブルにたくさん並んでいた各大手メーカーの文字盤で、社長のご挨拶を聞き乍ら、目は文字盤に向いていました。
なぜなら、てっきりポールピコの文字盤だけ見せて頂けるのもとばかり思っておりましたが、まさかこれだけの大手メーカーがMOM社に依頼をしていたのだということを見せて頂けるとは思っていなかったからでした。


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主だった文字盤で私が目に付いたメーカーでは、ポール・ピコを筆頭に、その他チュードル、エルメス、エベラール、モバード、ジェラルド・ジェンタ、ゼニス、ユリス・ナルダン、ダニエル・ロート、ロジェ・デュヴィ、クロノスイス、エベル、ダービー&シャルデンブラン、ヴィンセント・カラブレーゼ、ロンジン、オメガ、ブランパン、ダミアーニ、ブルガリ等々でした。得にたくさん製造されていたので目に付いたのがフランク・ミュラーとピエール・クンツでした。

フランク・ミュラーとピエール・クンツに関しては、国内に正式に輸入されていないモデルの文字盤などもたくさんあり、おそらくこの2ブランドはMOM社で殆どを製作依頼しているようでした。
他のブランドについては、全モデルの文字盤は無く、一部のモデルの文字盤だったので、こちらも恐らく比較的難しい文字盤のみを製造されているようでした。

色々な文字盤を撮影していますと、オリビエ氏より『これから製造行程などどのように製品化されていくのかを順を追ってご案内いたします。
しかしこれよりは撮影をご遠慮ねがいます。
なぜならまだ 新作の文字盤やこれから各メーカーと詰めて行く過程の文字盤等もございますので、ご覧頂くだけで撮影等はご遠慮して頂きますようお願いします。』とのことでした。
しかし、ひとくちに文字盤と言っても大変多くの行程を経て製品化されている事にある種感動も致しました。

例えばエナメル仕上げの文字盤に致しましても、まず打ち抜かれた真鍮や銀の文字盤にムーブメントと文字盤を固定する足を付ける行程があり、この足を溶接するだけでも特別な溶接機を用いて数十種類もある規定の長さの足を溶接すると、次に何パターンかのギョーシェ模様を5~6種類彫り込み、その後洗浄機にて洗浄されると、次に6~7回銀メッキを掛けると、その後12~13回程エナメルコートを施され、ポリッシュを行います。
それぞれの行程に1/100mmまでの規定の厚みがあり、エナメルコート技師やポリッシュ技師の方々は手作業で規定の厚みまで磨き上げておられました。
その他では特殊な色を出すのに酸性の少ない“ポタシウム”という素材を用いたり、ワイン樽の“オリ”を浄化した白い粉末でメッキ後の文字盤を磨いたり、また驚いたのが金、銀、銅、ロジウム、など一般のメッキはもちろん特殊なメッキも工場内で行い、しかもメッキ後の廃液などは一切工場内から出さず、すべてろ過、精製する装置まで備えており環境のことも十分考慮に入れるように建てられているところなどは、さすが環境問題にも世界的に一番厳しいスイスだとあ感動しました。
その他、文字盤の色についてもブルーはニッケルを塩化ナトリウムで腐食させたり、オレンジやイエロー、ブルーパープル、ダークパープルと言った様々な色の出し方も説明して下さいました。

インデックスにおいても全てこの工場内で行われており、それぞれのアプリケーションを型取ったり切断、研摩等の製作機器もフル可動していました。
撮影出来なかったので、状況がお解り頂き難いかもしれませんが、私自身非常に貴重な体験でした。
あっと言う間のMOM社工場見学を終え、次はジュネーブ郊外にあるWOSTEPスイス時計学校へと向かいました。

到着すると8月より新しく校長に就任されたマルタン・ピーター氏が出迎えてくれました。
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そして挨拶を交わしますと、前校長であったシモーナン氏にもお会いし、一緒に写真をお願いしました。
現在シモーナン氏はフルーリエ企画発足にご尽力注いでおられる第一人者であり、ジュネーブシールのような芸術面だけで無く、またCOSCのような精度だけを基準にするのでもない統制のとれた基準を考えておられるとのことだそうです。


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話は戻りまして、現校長のピーター氏にレセプションルームのようなところへ案内頂き、そこでWOSTEPについての説明と現在の現状と、これからの方向性を説明頂き、現在日本よりは日本ロレックスより2名とヒコみずのジュエリーカレッジより1名の方々がこちらで基本のマスターコースを受けておられている事を聞き、その後そのマスターコースを受けておられることろへ案内頂き、その他各メーカーのムーブメントなどの現状を全て管理された校長室やトレーニングを受けるトレーニングルームなどを案内頂きました。


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またこの時にピーター氏より『これからの実技に使うことになる基準のベースムーブメントです。』と言い乍ら見せて頂きましたムーブメントは2002年に発表になり各大手メーカーでも最近よく用いていますETA Cal.2094という小振りの自動巻クロノグラフでした。


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WOSTEPでは基本的にマスターコースは2400時間の実技と600時間の理論の合計3000時間を約2~3年の間に修得するよう決められているそうで、ある程度の基礎知識と技術が無いと難しいとのことでした。
その上にコンプリケーションコースなどがあり、通常のマスターコースでも日本より年間1~2人くらいしかこのヌーシャテルのWOSTEPには入学されないとのことでした。
そして、シモーナン氏の講義を覗かせて頂き、講義の後WOSTEPの裏に併設しているシモーナン氏の時計に関する古書屋さんを開けて頂き機械に関する古い洋書を譲って頂き、現校長のピーター氏やシモーナン氏にお礼を述べWOSTEPをあとにしました。
明日はドイツはグーテンバッハにあるハンハルト本社へ訪れる為、ドイツのフライブルグにある“コロンビホテル”へと向いました。
フライブルグは音楽の街としても有名で、またフライブルグ城などの旧跡観光地があるとても美しい街です。
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-グーテンバッハのハンハルト-

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-ポール・ピコ、ハンハルト、ジン本社訪問記-

翌朝も天候に恵まれとても気持ちよく朝を迎え、朝食を済ますと早々にグーテンバッハのハンハルトへと向いました。

約1時間程バスに揺られつつ山あいののんびりとした静かな集落に到着すると、昔の地元の身なりなのでしょうか、突然民芸衣装を着た方々に歓迎の歌と演奏で出迎えて下さいました。ちょうど上を見上げると“hanhart Stoppuhren”ハンハルトストップウーレンと書かれた看板が目に飛び込んで来ました。
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そして、この地で食前に呑まれるサクランボの蒸留酒であるキルシュを頂き、リフトのようなエレベーターで3回へ案内頂き、社長のクラウス イブリー氏より歓迎の挨拶があり、ハンハルトの歴史などを説明頂きました。
その時に説明頂きました、みなさんの着ておられる民芸衣装はかつてハンハルト社が1890年代初頭に壁掛け用や卓上用のクロックを製作していたころに下の村あいまで売り歩いていた当時の行商の格好を再現して下さっていたとのことだそうでした。

『もともとハンハルト社は1882年にスイス人アドルフ・ハンハルトがドイツに移民し、シュベミンゲンで壁掛け用や卓上用のクロック製造工房を作ったのが始まりでした。アドルフの4人目の子供ビリー・ハンハルトが18才の時に後を継ぎ、その後フランス軍との戦争に対してドイツ軍より計測用時計の要望がありストップウォッチの生産ラインを拡大して行きました。
そして1932年に現在のグーテンバッハへと工場を移り、第二次大戦よりパイロットクロノグラフの需要も増えた為、パイロットクロノグラフの生産態勢を拡張して行きました。しかし第二次大戦時にドイツ軍はフランス軍に敗戦した為、ハンハルトは戦争に加担した製品を製造したという理由のもと、製作機器等すべてをフランス軍に没収されフランスのブザンソンへ持って行かれたそうでした。

そして、1949年にビリー・ハンハルトが出獄後、再び同じグーテンバッハにて再建を果たしたそうです。
そして1960年頃から1990年頃まではクロックの製造も行っていたそうですが、現在はタグホイヤーを始め他のメーカーからの依頼も受け全世界の約80%のシェアでストップウォッチの生産を行っております。

また複雑なストップウォッチなどは1日約30個程の生産可能な態勢を整えております。そして1996年より再びリストウォッチの製造も始めました。』
という説明の後にストップウォッチの製造行程と腕時計のケーシングラインを見せて頂きました。
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工場内は腕時計の生産ラインよりも殆どがストップウォッチの製造ラインなので、ウォッチでは無い工業的オイル臭のにおいがしており、私自身このような香りも好きなので居心地良くまた、案内頂きましたチーフエンジニアの方よりその所々で打ち抜き研摩済みのパーツを『記念にどうぞ。』と頂きました。
組み立てから調整に至るまで一通り工房内を見せて頂き、最初に案内頂いた部屋へ戻ると嘗てハンハルト社が製造していたオリジナルのクロノグラフやポケットウォッチなどを見せて頂き社長とチーフエンジニアの方と一緒に写真を撮り再開を約束してハンハルトを後にしました。
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途中ハイデルベルグ市内にて昼食を採り、ハイデルベルグ城などの旧跡を観光した後、最終日に訪問予定をしていますジン本社のあるフランクフルトへと向いました。


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夕方に到着後、少しフランクフルト市内を観光ののち旧市街で夕食を採り、今回第一目的でもあるSinn本社への訪問の為、早々の就寝としました。


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-Sinn本社への訪問-

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-ポール・ピコ、ハンハルト、ジン本社訪問記-

最終日の朝も快晴で今回の訪問中、最高の気候と天候に恵まれた1週間でした。

朝食を済ますと直ぐ、バスに乗り込み30分程でジンの本社に到着しました。
そしてジン本社ビルの入り口にてローター・シュミット氏とエンジニアの方々やサービスの方が出迎えてくれました。

案内頂いたスペースにはかつてジン社が生産していたオールドピースを始め、ドイツのみで販売されているモデルなどが展示されていました。そして、そこでローター・シュミット氏よりご挨拶と現在のジン社の生産体制や現状について説明頂き次に工場内にある、研究、製造、調整、修理、そして新機構の開発等の机が並ぶ工房なども見せて頂きました。

修理に関しては、直接本社へ持ち込まれるとサービス専用のカウンターにて受付をして頂け、その場で出来る修理内容であればそぐに対応して頂けるとのことでした。
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また、全世界から修理も送られてくるそうで、その場合通常修理ではグリーンBOXに納められ、比較的急ぐものに対してはイエローBOX、そして大至急のものはレッドBOXと決められているそうです。
また、修理部門のストックパーツの引き出しには現行や生産終了モデルのパーツが大量にストックされており、その横には一度ビブログラフである程度の調整ののち、より精密な計測をする為の特殊装置も完備されていました。
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通常このような修理体制やその他拝見させて頂けないあろう所までシュミット氏は見せて下さいました。
その中でも興味深かったのが、来年発表予定の9時位置に3本の針をもつ機械の開発を見せて頂きました。具体的な機能は伺わなかったので、詳しくは2004年のバーゼルフェアにて好評される事になると思いますのでこちらも楽しみです。
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また別の部門では、現在企画中のシリーズも見せて頂きました。
それは、“Audi Design”アウディデザインという別会社を設立し、ポルシェデザインとは異なったコンセプトによりさまざまな工業製品を手掛けて行く予定で、そのうちの時計部門をジン社が手掛ける事となったそうで、現在プロトタイプでの試作とそのモデル用に開発される機械等の計画を教えて頂きました。
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その他では、現在裏蓋やローターなどにエングレーブや彫金等を施す女性時計師によりエングレーバーの手法などを実演して頂きました。
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『しかし、この女性エングレーバーの方どこかで見た事あるなぁ?』と思い聞いてみると、今年2003年のバーゼルフェア期間中ドイツのローラッハにあるジャッケ・エトアールの時計師クラウス・ヤコブ氏に合に行った時、クラウスの工房でおられたということ思い出し聞いてみると、『実は私クラウスの妻の妹なんです。』とのことだそうでした。
何かより一層親近感が湧いたような気分で色々と、話しを伺っているうちに昼食の時間になりましたが個人的にもシュミット氏にお願いがありましたので社長室にてシュミット氏と商談させて頂き、結局ジン社には約5時間と、大変長時間に渡りましたがとても有意義な時間を頂けました。

最後にデアパルの実物や来年発表予定の新作モデルやテギメント加工を施したガンメタリックカラーのケースに納まったモデル856を見せて頂き、ラトラパンテに関しては、早くて来年、遅くとも再来年の発表予定と言う事を伺いました。
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あっと言う間でしたが、今回もとても貴重な体験を得る事が出来ました。
掲載させて頂きました内容は、ほんの一部ですが少しでもスイスやドイツの時計作りに対する思いや空気などを感じて頂き乍ら読んで頂けたらと思います。

最後に(株)PXのスタッフの方々始め(株)ホッタのスタッフの方々には大変お世話になり、ありがとうございました。
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